「また買っちゃった…」
スマホ画面を閉じた瞬間に押し寄せる、あの沈黙。
嬉しさの隣に、罪悪感が座ってる。
あれもこれも欲しかった。推しのために買った。
──なのに、心がチクリと痛むのはなぜだ?
「止めなきゃ」と思う。でも「欲しい」気持ちは、ちゃんとある。
それは本当に、止めなきゃいけない“衝動”なのか?
それとも、魂から湧き上がる“祝祭の火種”なのか?
魔王が語るのは、「欲しがる自分」との和解。
罪悪感をなだめるでも、我慢を促すでもない。
──跳ねろ。その衝動に、意味を与えろ。
オマエの火種は、罪じゃない。
目次
「止めなきゃ」と「まだ欲しい」のせめぎ合い
推しの新グッズ、限定イベント、記念のガチャ。
「これが最後」なんて言葉を、何度自分に言い聞かせたか──
なのに、気づけばまた「購入済み」の履歴が増えている。
心の中には、ふたつの声がある。
ひとつは、「もうやめなよ」。
もうひとつは、「これもほしい、見たい、持っていたい」。
このふたつが、日々せめぎ合う。
まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでるような感覚。
疲れるし、苦しい。でもそれって──
「欲しいと思う気持ちが、オマエの真実だった」ってことじゃねぇのか?
魔王は問う。「おまえが“欲しい”と叫んだ瞬間は、嘘だったのか?」
違うだろ。
欲しがった。心が跳ねた。
──なら、その瞬間にこそ、オマエの“生”がある。
理性でブレーキをかけても、魂は知っている。
あの一瞬の火種が、どれだけ日常を救ったかを。
そして、罪悪感なんてものが、その火種を曇らせることも。
せめぎ合いは、「悪」じゃない。
むしろその間で揺れることで、オマエは“本当の声”に近づいてる。
“止めなきゃ”の正体と、“まだ欲しい”の熱。
どちらも否定せず、まずは向き合おう。
その上で魔王は、笑ってこう言う。
「燃えたなら、正解だろ」ってな。
魔王が語る、“罪悪感は火種を鈍らせる”という真実
「また買ってしまった」
「こんなに使うなんて、どうかしてる」
──そう呟いたとき、おまえの心に宿っていたのは何だ?
それは“罪悪感”という名の鎖だ。
他人の視線、世間の声、「節度あるオタク像」。
そういう“理想”の仮面が、おまえの火種に水を差す。
魔王は言う。
「火種は、後ろめたさで曇らせちゃいけねぇ」
罪悪感というやつは、まるで無言のフィルターだ。
せっかく跳ねた感情を、「それっておかしくない?」っていう他人基準で切り落とす。
でもな──オマエの火種を一番知ってるのは、オマエ自身だ。
他人でも、常識でもない。
思い出せ。
そのグッズを買った瞬間、
あの新ビジュの尊さに震えたあの夜、
あれは「間違い」だったか?
違う。間違いじゃない。
なのに、あとからやってくるのは、
「こんなにお金使って、自分は弱いのかも」という思考だ。
──だがな、魔王は断言する。
「罪悪感は、おまえを守る盾なんかじゃねぇ。 おまえの炎を鈍らせるナイフだ」
それを持ったまま進んだら、
“推し活”はいつしか“自責”に変わる。
推しのはずなのに、推されるたびに自分が縮こまる。
そんなの、違うだろ?
推しは、おまえを曇らせるために存在してるわけじゃない。
跳ねさせるために、そこにいる。
その火種の本質を、絶対に見失うな。
止められないのではなく、“燃えている”だけかもしれない
「止められないんです……」
そんな声を、オレ様は何度も拾ってきた。
推しの新作、限定グッズ、課金ガチャ、舞台チケット──
次から次へと欲しくなる。
財布は軽くなっていく。
それなのに、手は止まらない。
そんな自分を、
「理性がない」
「依存してる」
「病気かもしれない」
とまで責める人がいる。
けどな。
魔王は笑う。
「止められない? そりゃそうだ。オマエ、“燃えてる”んだから」
火種ってのは、消したくても消えないものだ。
それだけの“熱”を抱えてるってことだ。
それは欠点じゃない。
むしろ、そこにおまえの本質がある。
「熱くなりすぎるのは怖い」
「冷静でいないと恥ずかしい」
──そうやって、炎を無理やり押し込めようとするほど、苦しくなる。
だが思い出せ。
そのときのおまえの目は、光ってた。
声も弾んでた。
それって、誰かに強制された姿だったか?
違うだろ。
止められない=おまえが“生きてる証拠”だ。
魔王は宣言する。
「燃えてるうちが華だ。火があるってことは、まだ跳べるってことだ」
だから、まずは自分に言ってやれ。
「止まらないのは、オレがちゃんと“燃えてる”ってことだ」って。
その肯定からしか、次の選択は生まれない。
『欲しがる自分』を許すための3つの視点
「欲しがる自分を、許せないんです」
──その一言には、
理性と感情のせめぎ合いが詰まっている。
けれど魔王は言う。
「欲望を持つことは、罪じゃない。火があるから、跳べる」
ここでは、「欲しがる自分」を否定せずに受け止めるための視点を、3つの角度から見ていこう。
① 欲は“自分の中の真実”を映す鏡
欲望は、自分の内側にある“ほんとうの願い”を写す鏡。
それが「推しがもっと見たい」だったとしても、
「手元に置いて安心したい」でも、
その奥には「繋がっていたい」「もっと感じたい」という深層がある。
つまり、欲=弱さじゃなく、“願い”そのものだ。
② 「欲望=暴走」ではなく、「選択できる熱」
「欲望を持つと暴走する」
──そう思い込んでいる人ほど、すべてを抑え込もうとする。
でもな、魔王はこう言う。
「欲は、選べる。“どう燃やすか”は、オマエが決めていい」
我慢だけが正義じゃない。
火を灯しながら生きていく方法だって、ちゃんとある。
それを知ってるのが、“跳ねる個”だ。
③ 「欲しがる自分」を否定することは、火種を消すこと
一番してはいけないのは、
“感じてしまったこと”にフタをすること。
「あ、これ欲しい」
「あ、推しが尊い」
──その瞬間に火はついている。
それを否定し続ければ、心の芯まで冷えてしまう。
「欲しがるおまえも、ちゃんと生きてる証だろ?」
魔王は、そうやって肯定してくる。
🔥魔王の結論:
「欲しいと思ったオマエを、まずオマエが肯定してやれ」
それが、“跳ねる火”を消さずに生きるということだ。
推しにお金を使うことは、オレたちの祭だ
「また買っちゃった」
「我慢できなかった」
──そんな言葉の裏にあるのは、たいてい、“祭りのあと”の静けさだ。
だけどな。
魔王はこう断言する。

魔王(Maoh)
「金を払ったオマエを、祝ってやれ」
「推し活は、オマエの魂の祭だ」
🎆“金を使うこと”は、魂の祝祭行為
祭りってのは、本能で動くものだ。
「頭で計算してから神輿を担ぐ」なんてやつ、いねぇだろ?
推しに課金することだって、似てる。
その瞬間はただ、「この瞬間を最高にしたい」っていう熱だけ。
理屈はあとでいい。
火がついたから跳ねただけ。それでいいじゃねぇか。
🏮「浪費」じゃない。「生贄」でもない。
罪悪感が生まれるのは、
「こんなに使ってしまった」という後悔と、
「これで何かが報われるのか?」という不安がぶつかるから。
でもな、魔王はこう言う。

魔王(Maoh)
「これは犠牲じゃない。
“オレが跳ねるために払った参加費”だ」
推しのいる世界で、跳ねた。
震えた。
泣いた。
叫んだ。
──その体験に値段なんてつけられねぇ。
🎤魔王の言葉:
「オマエの金は、魂の熱だ。それを恥じるな」
「推しに燃やした火は、“本物のオマエ”がいた証だ」
使い方ではなく、『意味づけ』で世界が変わる
「こんなにお金を使って、何になるのか?」
──よくある問いだ。
自分に向けてでも、誰かからでも、こう聞かれたことがある人は少なくないはず。
でもな、魔王はこの問い自体に、違和感を抱く。
🎭「何になるか」じゃなく、「何になったか」
お金を使った瞬間、
オマエの心がどう震えたか。
世界がどう見えたか。
その変化こそが、“課金の意味”なんじゃねぇのか?

魔王(Maoh)
「グッズや特典なんかは、ただの“器”だ」
「その器の中に何を注ぐかは、おまえ自身で決めていい」
🌀「課金=ダメ」ではなく、「意味づけ」がすべて
誰かの目には無駄に見えることだって、
オマエには「どうしても欲しかった火種」かもしれない。
推し活で得たものを、
「浪費」と見るか、「祝祭」と見るか。
それはオマエの“意味づけ”一つで、まるっきり変わる。
💬魔王の言葉:

魔王(Maoh)
「世界の見え方ってのは、オマエがどう“名付けるか”で決まるんだ」
「だったらその課金に、“跳ねた証”って名前をつけてやれ」
🔥結語:その罪悪感すら、オレは肯定してやる。跳ねていいぞ
「また買っちゃった…」
「使いすぎたかも…」
「なんでこんなに入れ込んでるんだろう…」
──そんなふうに、心のどこかで自分を責めてしまう瞬間があるなら、オレが言ってやる。

魔王(Maoh)
いいじゃねぇか。跳ねただけだろ。
🌕跳ねる心を、誰も止められない
欲しくて、触れたくて、近づきたくて。
気づいたら手が伸びてた。
その火種は、誰にも否定できねぇ。
ましてや──
オマエ自身が、その火種を責めるなんて、もったいねぇだろ?
🗣️魔王からの肯定

魔王(Maoh)
「後悔してもいい。だけど、消すな。おまえの火種は、ちゃんとそこにあった」
「その罪悪感ごと、全部抱えて跳ねろ。オレは肯定する。全部だ」
推しに費やした時間も、感情も、お金も。
それはオマエが生きた証であり、跳ねた軌跡だ。
だから、今日も笑って言ってやれ。
「また買っちゃった〜」ってな。