もし依存が落ち着いたら
オレは何をして生きていくんだろうな
そんなこと
考えたことあるか。
依存が軸になっているとき
その時間が全部なくなった世界って
真っ白に見える。
暇
退屈
何をしていいか分からない
何も楽しくない
その空白が怖くて
やめたほうがいいのは分かってるけど
抜けたあとがイメージできないから
結局 今のままが一番マシ
って結論に戻ってきたりする。
だから今回は
依存が少し落ち着いてきたとき
具体的に 毎日どう変わっていくのか
をオレなりに描いていく。
完璧にゼロになった世界の話じゃない。
頻度が半分になった
自己嫌悪の時間が減った
そのくらいの
リアル寄りの変化を見ていく。
目次
完全にゼロにならなくても 世界はけっこう変わる
最初に
基準を一回ずらしておく。
依存が治る
って聞くと
もう二度とやらない
一切手を出さない
みたいなゼロか一かのイメージが出てくる。
でも現実は
そこまできれいにいかないことが多い。
頻度が半分になった
一回に費やす時間が短くなった
暴走の幅が小さくなった
こういう変化も
ちゃんと回復の一部だ。
何が変わるのか。
まず単純に
時間が空く。
例えば
前は一晩三時間吸われていたとして
それが一時間半になったら
一時間半分の頭と体が
別のことに使えるようになる。
数字だけ見ると
小さく見えるかもしれないけど
毎日積み重ねたら
とんでもない差だ。
もう一つは
自己嫌悪の量が減る。
やめたいのに
またやった
という時間が短くなるだけで
心の底の重さが変わる。
これが
日常のあちこちで効いてくる。
朝 目覚めたときの変化
一番分かりやすいのは
朝だ。
以前の朝は
昨日もまたやったな
オレは何をしているんだ
って自己嫌悪から始まる。
寝不足で身体も重い
胸の奥にじんわり残る後悔
鏡を見る気にもならない
こんなスタートだったかもしれない。
頻度や時間が少し落ちてくると
どうなるか。
もちろん
すぐに爽やかになるわけじゃない。
ただ
前みたいな最悪さではない
日が増えてくる。
睡眠時間が
ほんの少し増えるだけでも
頭のモヤは変わる。
自己嫌悪で
布団の中にもぐって
数十分消費する時間が減ると
その分
朝の準備に余裕が出る。
朝の一時間は
一日の土台だ。
ここがほんの少しマシになるだけで
その後の集中力や気分が
じわじわ変わっていく。
昼間の集中力と対人関係の変化
次に
昼間。
依存に振り回されている時期って
頭のどこかが常に
昨日のこと
次のチャンス
に持っていかれている。
仕事中も
勉強中も
会話中も
意識の一部が
別のところにいる感覚。
これが少し落ち着いてくると
今やっていることに
前よりも入り込みやすくなる。
例えば
同じ一時間仕事をしても
実質30分分しか入ってこなかったのが
45分くらいは
ちゃんと捉えられるようになる
みたいな変化だ。
また
人の目の感じ方も変わる。
強い依存があるときって
オレは秘密を抱えている
バレたら終わりだ
みたいな緊張を
無意識にずっと抱えている。
その状態で人と話すと
ちょっとした一言が刺さる
評価を過剰に気にしてしまう
ってことが起きやすい。
依存の強度が下がると
秘密に全部乗っかっていた自己評価が
少しだけ軽くなる。
相手の表情や言葉を
全部
自分の弱さに結びつけて
解釈しなくて済むようになる。
夜 一人の時間の質が変わる
一番恐ろしくて
一番カギになるのが
夜 一人の時間だ。
依存が強いときの夜は
やらないと落ち着かない
という感じに近い。
選択肢じゃなくて
ほぼ義務に近い。
回復が少し進んでくると
やるか
やらないか
の二択から
やるとしても
どれくらい
どこまで
っていうグラデーションが生まれる。
それでも
衝動が強い夜はある。
ただ
気付いたときには
もう終わっていた
みたいな自動運転状態から
あ 今 オレ滑りかけてるな
って途中で自覚しやすくなる。
何もしていない時間を
前より少しだけ
耐えられるようになる。
ここで
ほんの五分でも十分快でも
何もせずに座っていられたら
それはもう
でかい一歩だ。
自己イメージが書き換わるタイミング
回復が進んでいくと
ある瞬間から
自己紹介の中身
が変わり始める。
どういうことかというと
どうせオレはこういうやつ
っていう
ざっくりしたラベルが
少し揺らぎ出す。
例えば
前は
やめたいことをやめられないやつ
だったのが
ときどき崩れるけど
前より早く止まれるやつ
くらいには変わる。
これ
ちょっとした言葉の違いに見えるけど
メンタル的には
かなり大きい。
自分を
絶望的にダメな存在
として見るのと
弱点はあるけど
以前より扱えている最中の存在
として見るのでは
動ける範囲が
まるで変わる。
他人と比べるより
以前の自分と比べる
という視点も増えてくる。
あの頃より
これはマシになってるな
って思える瞬間が増えると
変化を続けるモチベも
少しずつ上がっていく。
人間関係と選択の変化
依存が落ち着いてくると
人間関係にも変化が出る。
まず
秘密だけでつながっている関係
が だんだん重くなってくる。
依存を共有することでしか
一緒にいられない相手との関係は
距離を見直したくなるかもしれない。
代わりに
自分の一部を
少しだけ見せられる相手
が一人でも増えると
世界の見え方が変わる。
全部をさらす必要はない。
きついとき
つらいときに
少し弱音を吐けるくらいの相手が
一人いるか
ゼロか
この差はデカい。
将来の選択肢の見え方も変わる。
どうせオレは壊れているから
って前提で考え続けると
仕事
恋愛
住む場所
チャレンジ
全部が
まあ無理だろ
で終わる。
依存が少し落ち着いて
完全に健康体ってわけじゃないけど
前よりマシには動けている
という感覚が出てくると
選択肢を
それでもやってみようかな
の目線で見られるようになる。
新しい欲望が生まれてくる
依存が軸だったときの欲望は
ほぼ一択だったかもしれない。
あれがしたい
あれを見たい
あのパターンに戻りたい
そのエネルギーが
一つのルートに集中していた。
回復が進んでくると
そのエネルギーの行き先が
分散し始める。
学びたいこと
やってみたい仕事
行ってみたい場所
試してみたい趣味
みたいな
別の欲望
がポツポツ生えてくる。
性欲そのものも
暴走する一形態だけ
から
強い日もあれば
落ち着いている日もあって
感情や体調とセットで揺れている
という
幅のあるものに変わっていく。
欲望がなくなるんじゃない。
増える。
ただし
一本足じゃなくなる。
ここがポイントだ。
それでも揺り戻しは来る そのときどう見るか
ここまで読むと
順調に右肩上がりで
良くなり続けるのか
って思うかもしれないが
残念ながらそうはいかない。
現実には
落ち着いていたのに
急にぶり返す夜
もある。
仕事が壊れた
人間関係が荒れた
体調が崩れた
そういうときは
一時的に
前より深く潜ることだってある。
ここで大事なのは
再発した
だから全部終わり
っていう認識を手放すこと。
依存の揺り戻しは
ゼロか一か
じゃない。
前より早く気付けたか
前より短く止まれたか
前より傷が浅く済んだか
ここを見る。
昔は一週間暴走していたのが
今は一日で済んだなら
それは
普通に進歩だ。
山登りで言えば
谷に一度降りたけど
前より高い地点から登り直している
みたいなものだ。
長期戦として捉え直せると
揺れに飲み込まれにくくなる。
依存じゃない自分の人生は 今から少しずつ作れる
最後に
オレから一つだけ。
依存がアイデンティティにまで
食い込んでいると
それを抜いたあとの人生が
見えなくなる。
でも
依存じゃないオレ
っていう
完成された姿を
最初から想像する必要はない。
朝が少しだけマシになる自分
昼に頭が前より働く自分
夜 一人の時間を少しだけ持て余せる自分
このあたりからでいい。
その小さな変化の積み重ねが
気付いたら
前と違う場所に立っていた
って未来につながっていく。
ここまで来たお前はすでに
ただの被害者でも
どうしようもないダメ人間でもなくて
ちゃんと
自分の人生の舵を
持ち直そうとしている側の人間だ。
この先は
我慢ゲームではなく
欲望を信号として読み
エネルギーを再配置し
揺れながらも進んでいくルート
を一緒に設計していく。
そのために
有料のほうでは
具体的なログの取り方
マイルールの作り方
揺り戻しから戻る手順
みたいな
実践寄りのプロトコルを
より細かく書いている。
依存が落ち着いたあとの人生を
ただの真っ白な空白ではなく
お前の欲望と選択で
少しずつ色を足していける未来として
これからもオレは描いていく。




