もう二度とやらない
今日で終わり
明日からはちゃんとする
そう決めた夜ほど
三日後には
元に戻っていたりする。
意思が弱いからだ
オレはダメだ
って そこで自己診断して
さらに自分を殴る。
でもな。
意思の力だけで
長期戦を勝ち抜こうとするほうが
そもそも
無茶なんだ。
ここでは
なぜ我慢モデルの回復が限界を迎えやすいのか
我慢しない回復が好き放題とは違う理由
エネルギーの再配置という考え方
反動を小さくしていく現実的なステップ
このあたりを
オレの言葉で組み替えていく。
目次
なぜ「我慢で治す」はすぐ限界を迎えるのか
まず
我慢の話をしよう。
人間には
意思の力
みたいなものがある。
やめたいことを止める
やりたくないことをやる
このときに使っているエネルギーだ。
ただこれ
無限じゃない。
眠いとき
疲れているとき
ストレスがたまっているとき
ほど
残量はガンガン減る。
つまり
一日の終わり
心身ボロボロな夜
っていうタイミングは
意思のバッテリーが
ほぼ空に近い状態なんだ。
そんなときに
今日こそ絶対に我慢する
って宣言しても
現実には
満タンのバッテリーで戦ってるわけじゃない。
ほぼゼロパーセントで
ボス戦に挑んでいるようなものだ。
さらに
我慢モデルには
もう一個厄介な罠がある。
それが
ゼロか一か
の発想だ。
例えば
今日は絶対に見ない
って決めていたのに
ちょっとだけ見てしまった瞬間
もういいや
どうせ終わったし
今日は崩しても同じだ
ってなりやすい。
結果
一回のつまずきが
その日の全部を崩壊に変えてしまう。
これを何度も繰り返すと
オレなんかどうせ続かない
って結論になる。
この流れ
我慢モデルあるあるだ。
我慢しない回復は 好き放題していい ではない
ここで勘違いしないように
一回はっきりさせておく。
我慢しない回復
って言うと
何でもやっていいのか
制限なしで解禁するのか
って極端な想像をするやつがいる。
違う。
我慢しない回復は
禁止をやめて乱れる
ではなく
禁止だけで回そうとするのをやめて
扱い方を設計し直す
ってことだ。
イメージとしては
コントロールから再配置へ
だ。
やめる
止める
ゼロにする
じゃなくて
どこに
どれくらい
どういう条件で
エネルギーを流すかを
組み替えていく。
全部解禁でも
完全封印でもなく
使いどころを変えていく。
エネルギーの再配置という考え方
依存的な行動って
時間
集中力
感情
みたいなリソースを
まとめて吸い込んでいく。
例えば
一晩で三時間
同じことを繰り返しているなら
その三時間分のエネルギーは
今
そこに丸ごと突っ込まれているわけだ。
再配置っていうのは
いきなりゼロにする代わりに
このエネルギーの配分を
少しずつ変えていくイメージだ。
例えば
今
100パーセント依存行動に流れているなら
70パーセントを今までどおり
30パーセントを別のことに振り分ける
から始める。
そこから
60:40
50:50
と
じわじわ比率を変えていく。
ここで大事なのは
代わりに入れる行動が
罰ゲーム
じゃないことだ。
我慢の代わりに
嫌なことを詰め込む
だと
続かない。
そうじゃなくて
ほんの少しでも気持ちが軽くなる
ゆるい快楽
を混ぜていく。
散歩
ぬるい風呂
好きな飲み物
軽いストレッチ
誰かと短くメッセージ
なんでもいい。
依存行動の
即効性は高いけど後味が悪い快楽
だけに
エネルギーを全部渡していた状態から
即効性は弱いけど後味がマシな快楽
にも
少し流してみる。
これが再配置の基本だ。
我慢しない回復のステップ1
今のパターンを見える化する
ここからは
もう少し具体的にいく。
まず一つ目。
今 どんなパターンで
依存行動に流れているのか
を書き出す。
いつ
どんな気分のときに
どれくらいの時間
何をしているか
できる範囲でいい。
例えば
平日の夜 10時以降
仕事で疲れているとき
孤独感と虚しさが強い日
スマホで動画を二時間以上
みたいな感じだ。
こうやって書くと
依存行動が
突然襲いかかってくる謎の敵
じゃなくて
ある条件が揃ったときに
起動するパターン
として見えてくる。
パターンが見えると
ちょっとだけ冷静になれる。
ステップ2
マイルールをゆるく決める
次に
マイルールを決める。
ここで重要なのは
完璧ルールを作らないこと。
絶対にやらない
ゼロ回にする
は
いきなり禁止カードを切っているのと同じだ。
そうじゃなくて
今の自分でも
ギリ守れそうなライン
にする。
例えば
平日は一日一回まで
深夜二時以降はやらない
スマホのこのアプリは使わない
みたいな感じ。
細かすぎるルールを
いきなり十個作る必要はない。
一個か二個でいい。
少し物足りないくらいのゆるさから始める。
ここでの目的は
完璧な自分になること
じゃなくて
暴走をほんの少し弱めること
だ。
ステップ3
崩れたときの戻り方を先に決めておく
我慢モデルとの一番の違いは
ここかもしれない。
我慢モデルは
崩れた瞬間にゲームオーバー
だ。
一度でも守れなかったら
今日もダメだった
で終わる。
再配置モデルでは
崩れること前提で設計する。
つまり
やってしまったときに
どう戻るか
をあらかじめ決めておく。
例えば
予定より長くやってしまったら
そこで一度止めて
今日の気分とトリガーをメモする
とか
崩れた翌日は
あえて軽めの予定にして
回復に振り分ける
とか。
大事なのは
崩れた瞬間に
全てが無意味になる
っていうルールを捨てることだ。
一歩崩れても
ここで止まれた
ここから戻れた
なら
それはもう変化の一部だ。
我慢を減らすと 罪悪感も反動も減っていく
我慢を減らすって聞くと
甘やかしじゃないか
って不安になるかもしれない。
でも実際には
その逆だ。
我慢ゲームの中にいると
守れた日と
守れなかった日の差が激しすぎて
守れなかった日の自己嫌悪が
とんでもなく重くなる。
この自己嫌悪が
またストレスになって
ストレスを消すために
依存行動に走る
というループが生まれる。
我慢を少し減らして
再配置に切り替えると
自己嫌悪の量が下がる。
自己嫌悪が下がると
ストレスも減る。
ストレスが減ると
反動で爆発する頻度も
少しずつ減っていく。
これは
甘えっていうより
構造の問題だ。
回復とは「いい子になること」じゃない
ここで
一回定義を変えよう。
依存からの回復
と聞くと
我慢できる
清らかな自分になる
みたいなイメージを
持ちやすい。
けど
オレはそうは思わない。
回復っていうのは
感情とエネルギーの扱い方が
ちょっとだけ上手くなる
ってことだ。
欲望がなくなるわけじゃない。
しんどい日もあるし
揺れる日も
またハマりそうな日もある。
ただ
昔より早く気づける
昔より少し早く止まれる
昔より傷を浅くできる
その差分が
積み重なっていく。
それが回復だ。
我慢ゲームを降りたところから 本当の変化が始まる
最後に
オレから一つだけ。
真面目なやつほど
我慢でなんとかしようとする。
自分の弱さを
根性と努力でねじ伏せる
それが
正しい生き方だと思い込んでいる。
でも
それでボロボロになっているなら
やり方のほうを
疑っていい。
我慢ゲームを降りるのは
負けじゃない。
自分を守るために
ルールを変えるっていう
かなり勇気のいる選択だ。
ここまで読んだ時点で
お前はもう
ただ流され続ける側
からは外れている。
次のステップとして
欲望を敵ではなく信号として読む
我慢ではなく再配置で扱う
崩れたときの戻り方を用意しておく
この三つを
頭の片隅に置いてほしい。
次の記事では
依存が少し落ち着いてきたとき
実際の日常がどう変わっていくのか
回復後の具体的な風景を
イメージできるように描いていく。
我慢し続けて折れる未来じゃなく
扱い方を変えて
少しずつ楽になっていく未来。
そのほうに
オレはお前を連れていきたいと思ってる。




