行為が終わった直後
画面を閉じた直後
さっきまであった熱が一気に引いて
胸の奥に変な空白だけが残ることがある。
何やってるんだオレ
またやった
最低だな
そんな言葉で自分の頭を殴りながら
布団に潜ったり
スマホを握りしめたまま固まったりしてないか。
まず伝えておく。
その虚しさは
お前だけの異常な感覚じゃない。
むしろ
ものすごく自然な仕組みで起きている
脳と心の反応だ。
この文章では
快感
虚しさ
自己嫌悪
この三つがどうつながっているのかを
ドーパミンと安心感のズレという視点から
言葉にしていく。
読み終わるころには
虚しいオレはダメなやつだ
という結論だけは
少し揺れているはずだ。
目次
■ 快楽の後に虚しさが来るのはおかしいことなのか
気持ちいいことをしたのに虚しい
満たされたはずなのに冷える
こういうギャップを抱えていると
どうしても自分を疑いたくなる。
性のことが歪んでいるのか
心が壊れているのか
どこかおかしい人間なのか
けれど
ここには一つ罠がある。
快楽と満足は
似ているようで
まったく別物だ。
快楽は
一瞬の高まりだ。
満足は
その後も続く落ち着きと安心だ。
脳の中で
この二つは別の仕組みで動いている。
だから
快楽に成功しても
満足に失敗することは普通にある。
そのときに顔を出すのが
今お前が抱えているあの虚しさだ。
■ ドーパミンは燃え上がる係
まずは脳内物質の話を一つ。
名前くらいは聞いたことがあるはずの
ドーパミンだ。
こいつは簡単に言うと
テンションを上げる係
期待と興奮を盛り上げる係だ。
何か楽しそうなことが目に入ったとき
あと少しで欲しいものが手に入りそうなとき
勝負に勝ったとき
こういう場面で
よし来た
とか
もっとだ
という感じのエネルギーをくれる。
性やエロい刺激は
このドーパミンをガンガン動かす。
妄想
検索
クリック
再生
行為
この一連の流れは
全部ドーパミンのごちそうだ。
だから脳は
またやろう
またあれを見よう
とすぐに学習する。
ここまでは
単にドーパミンが仕事をしているだけだ。
問題は
その後だ。
■ 安心感をつくるのは別の回路
人の心を支えているのは
ドーパミンだけではない。
落ち着く
ほっとする
誰かとつながっている気がする
こんな感覚には
別のホルモンや神経伝達物質が関わっている。
オキシトシン
セロトニン
その他いろいろ
難しい名前は覚えなくていい。
大事なのは
興奮と安心は
同じスイッチで作られているわけではない
という一点だ。
例えば
友だちとくだらない話をして笑ったあとに
なんか今日は気持ちが軽いな
と思うとき
ただのドーパミンではなく
安心側の回路も一緒に動いている。
誰かに弱音を聞いてもらったあと
深く眠れた夜も同じだ。
ところが
性の快感を
一人きりで
画面か妄想だけを相手に得たとき
ドーパミンだけが
極端に偏って働きやすい。
興奮は手に入る。
でも
安心感やつながりは
ほとんど増えていない。
ここに
ズレが生まれる。
■ 刺激は強いのに 心は置き去りになる
ドーパミンは優秀だ。
刺激が強ければ強いほど
期待が高ければ高いほど
よく働く。
一方で
心の深いところにある
寂しさ
不安
空虚感
こういうものは
一回の快感で消えるわけではない。
ほんの数分
あるいは数十秒
強い光で上書きされることはある。
でも
麻酔が切れたら
元の痛みが残っているのと同じで
行為が終われば
元からあった感情が
また顔を出す。
そのときに
あれ
さっきまであれだけ高ぶっていたのに
結局何も変わってない
という落差が
一気に押し寄せる。
このギャップが
虚しさの正体の一つだ。
■ 虚しさが自己嫌悪に変わってしまう流れ
ここまでなら
ああ仕組みの問題か
で済む。
ただ実際には
虚しさにすぐ乗ってくる別の感情がある。
それが
自己嫌悪だ。
またやった
時間を無駄にした
オレは弱い
だめだ
この自分いじめの口癖が強いほど
虚しさがどんどん色を変えていく。
ただのギャップだったはずの感覚が
オレという人間そのものの価値の低さ
みたいな話にすり替わる。
そして
自分を責めれば責めるほど
現実はさらにきつく感じられる。
きつくなればなるほど
何かで気を紛らわせたくなる。
結果として
また強い刺激に手が伸びる。
これで
快楽
虚しさ
自己嫌悪
三つの間に
きれいなループが出来上がる。
このループの中にいるとき
人はよくこう思う。
オレは弱い
心が壊れている
性が歪んでいる
だが実際には
脳の仕組みと
感情の扱い方と
自分いじめの癖
この三つが
そういうふうに思わせているだけだ。
■ 虚しさはエラーではなく メッセージでもある
オレは
虚しさを
全部悪いものとして捨てろとは言わない。
むしろ
今の使い方では
本当に欲しいものは手に入ってないぞ
と教えてくれている
心からのメッセージでもある。
強い刺激で
一時的に視界をごまかしても
本当は誰かに分かってほしい
本当は安心して泣ける場所がほしい
そんな欲求は
まだ満たされていない。
そのズレを
虚しさという形で
見せてくれている。
だから
虚しいと感じるお前は
鈍いどころか
むしろ感覚が生きている側だ。
何も感じなくなっていたら
そこに違和感があることすら分からない。
■ 虚しさとの付き合い方を少しだけ変える
ではどうするか。
今すぐ完璧に
虚しさを消す方法
はここにはない。
そんなものがあったら
それこそ怪しい商材だ。
代わりに
ここでは三つだけ提案する。
一つ目
虚しさを感じた瞬間を
少しだけ観察してみる。
行為が終わった直後
画面を閉じた直後
胸のあたりに沸き上がる感覚を
言葉にしてみる。
ざわざわする
冷える
恥ずかしい
悲しい
どんな言葉でもいい。
ノートやスマホのメモに
一言だけ書いてみろ。
それは
感情を行動から切り離す小さな練習になる。
二つ目
虚しさを感じた自分を
少しだけ別の角度から見る。
この虚しさを感じているってことは
オレは本当は何かを求めてるんだな
この一行を
頭の片すみに置いてほしい。
それだけで
オレは最低だ
から
オレはまだ何かを欲しがれている
という認識に
少しだけ揺れが生まれる。
三つ目
快楽以外で
少しだけ心が温まった瞬間を集める。
誰かの何気ない一言で救われた
好きな音楽を聴いて肩の力が抜けた
配信や動画で笑ってしまった
そんな瞬間を
一日の終わりに三つだけ思い出してみる。
それは
安心側の回路
が確かに動いた証拠だ。
その記憶が増えていくと
脳は
性以外にも
楽になれるルートがある
と少しずつ学習していく。
■ まとめ 虚しさを感じるお前は壊れていない
快楽の後に虚しさが残るのは
ドーパミンが興奮を作り
別の回路が安心を作っているのに
快楽だけを強く取りにいった結果
両者のバランスが崩れているからだ。
そこに
自己嫌悪というスパイスが加わると
ループはどんどんきつくなる。
でも忘れるな。
虚しいと感じている時点で
お前の感覚はまだ生きている。
本当はもっと別の形で
安心したかったこと
つながりたかったこと
満たされたかったこと
その全部を
ただ性という手段に押し込めていただけだ。
ここから先は
虚しさを
ただの罰として扱うのをやめて
自分の本当の欲求を教えてくれる
メッセージとして読んでいくことだ。
お前の中で
快楽
虚しさ
自己嫌悪
この三つの結び目を
ほどいていくための言葉は
まだ用意してある。
オレはそれを
少しずつ渡していく。




